NOT CITY BOY。
「おしゃれ」って言葉、すげえださいよね。
だから「おしゃれ」と「お洒落」を区別しようと思う。
いま世間的に「おしゃれ」至上主義みたいな流れになってる。
それは決して悪いことではない。
お洒落なモノとか、お洒落であることは、生きるのに不可欠なものだ。
だけど「頑張っておしゃれになろう」としている状態とか、「ねえねえおれ・わたしっておしゃれでしょ」みたいな、あからさまなスタンスがお洒落ではない。
あくまで自然とおしゃれな状態が、本当のお洒落だ。
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某雑誌では「シティーボーイ」が取り扱われている。
都会的で洗練されたファッションで、映画や音楽にも詳しい男子のことだ。
ぼくも某雑誌は読むし、すごく面白い雑誌だと思うし、尊敬する雑誌だ。
しかし某雑誌の嫌いなところ、というか気をつけなければいけないのは「表面的シティーボーイ」の存在だ。
正直、某雑誌に出てくるようなシティーボーイになるのなんて簡単だ。
正確には、表面的シティーボーイになるのは簡単だ。
上で挙げたような特徴をクリアして、それっぽい雰囲気を醸し出せば「ごまかす」ことができる。
しかし大事なのはごまかしではなく、自然体としてのお洒落だと思う。
ファッションのおしゃれさではなく、生き方のお洒落さが重要だ。
某雑誌の編集長が考える「シティーボーイ」の定義を知ってる?
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これは分かりにくい例えだが、分かってもらえたらうれしい。
絵の具でグリーンを表現しようと思ったとき、グリーンのチューブからそのまま使えば簡単だ。
それはある意味で「正解」だ。ぼくはそれを「おしゃれ」と呼ぶ。
一方で、グリーンやイエロー、ときにはブルーの絵の具を混ぜてグリーンを表現する。
これも「正解」だ。ぼくはそれを「お洒落」と呼ぶ。
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たぶん世間的には「おしゃれ」が求められているし、そのほうがラクだ。
しかしそれは心底ダサいと思う。
分かりにくくても、めんどくさくても、自分なりのグリーンを作るような「お洒落」な生き方を目指したい。
「NOT CITY BOY」の中にも「CITY BOY」という言葉が含まれている。
ということを説明したかったけど、この文章じゃ伝わらないね。おわり